2008年11月02日

【阿部次郎略年譜】20代の阿部次郎

1903(明治36)年

(満20歳)

この年第一高等学校の機関誌『校友会雑誌』の編集にあたり、しばしば同誌に執筆。
斎藤茂吉、安倍能成、 魚住影雄(折蘆)らを知る。
5月下級生 藤村操が華厳滝に投身自殺し、6月清沢満之が死亡、
青年の間に青春の煩悶の状況が一気に高まる。


1904(明治37)年

(満21歳)

7月第一高等学校を卒業し、9月東京帝国大学文科大学哲学科に入学。
ケーベル、大塚保治らの講義を喜んで聴く。


1905(明治38)年

(満22歳)

友人の勧めで、豊竹昇太夫の義太夫を熱心に聞く。


1906(明治39)年

(満23歳)

小山内薫らと東京帝国大学文科の機関誌『帝国文学』の編集委員をつとめ、しばしば同誌に執筆。
この頃より歌舞伎に熱中し、 初世中村吉右衛門をひいきにする。


1907(明治40)年

(満24歳)

卒業論文「スピノザの本体論」を書き、東京帝国大学を卒業。


1909(明治42)年

(満26歳)

夏目漱石の門に出入りし漱石門下生と交わり、『東京朝日新聞』の「朝日文芸欄」に執筆。


1910(明治43)年

(満27歳)

6月「朝日文芸欄」に「『それから』を読む」を発表。 武者小路実篤と会う。


1911(明治44)年

(満28歳)

3月小宮豊隆、 安倍能成、 森田草平との合著『影と声』(春陽堂)を出版。
この頃より初世中村吉右衛門 と交わる。
「朝日文芸欄」が廃止され、『読売新聞』の客員となり翌年より同紙にしばしば執筆。


1912(明治45/大正元)年

(満29歳)

5月『スバル』に「三太郎の日記」の序ともいえる「断片」を、
同月『読売新聞』に「三太郎の日記」(同題の最初のもの)を発表。
6月に結婚した和辻哲郎夫妻としきりに往来。
posted by 青田三太郎 at 14:30| 宮城 ☀| 阿部次郎略年譜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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