2008年11月02日

【阿部次郎略年譜】30代の阿部次郎

1913(大正2)年


(満30歳)

慶応義塾(大学部)講師となる。


1914(大正3)年


(満31歳)

2月分家し竹沢つねとの結婚を届け出る。
4月『三太郎の日記』(東雲堂)を出版。


1915(大正4)年


(満32歳)

2月『三太郎の日記 第弐』(岩波書店)を出版。


1916(大正5)年


(満33歳)

日本女子大学講師となる。
7月『倫理学の根本問題』(岩波書店)を出版。


1917(大正6)年


(満34歳)

4月『美学』(岩波書店)を出版。
5月創刊の雑誌『思潮』(岩波書店発行、翌年12月休刊)の主幹となる。


1918(大正7)年


(満35歳)

6月『合本 三太郎の日記』(岩波書店)を出版。


1920(大正9)年


(満37歳)

太田水穂の発起により芭蕉研究会が始まり、
幸田露伴、小宮豊隆、 安倍能成らと出席。


1921(大正10)年


(満38歳)

1月『中央公論』に「人生批評の原理としての人格主義的見地」を発表、
人格主義の主張を展開。


1922(大正11)年


(満39歳)

5月文部省在外研究員として美学研究のためにヨーロッパに渡り、
主にフランス、ドイツ、イタリア、イギリスで学ぶ。
6月『人格主義』(岩波書店)を出版。
10月『地獄の征服』(同前)を出版。
posted by 青田三太郎 at 15:00| 宮城 ☀| 阿部次郎略年譜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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