2008年11月15日

90年前の悲嘆

 十一月十五日(土)晃死す

 朝三時四十分、雨中、晃死す、
 死して間もなく氷川神社の七五三の大〔ママ〕鼓ひゞく、
 勝也夫婦、三也夫婦、勤之助等手伝ひに来る。
 通夜和辻夫婦、三也、勝也、落合、伊藤、勤之助、
 三也を葬儀委員長にして万事余は関せぬこととす、
 葬式は高谷氏の紹介にて落合の龍興寺にきまる。
 小島氏死顔をかいてくれる。


(阿部次郎『阿部次郎全集 第十四巻』角川書店、1962:304ページより)


1919(大正8)年11月15日
阿部次郎は満4歳になったばかりの長男、晃を結核性の腹膜炎で亡くしました。
次郎満36歳の晩秋のことでした。


それから90年の歳月が流れようとしています。


1919年の日記を繙くと、春先から夏そして秋へと
季節が移り変わるのと歩調を合わせるかのように
晃の病状が日に日に悪化してゆく様が克明に記されています。

晃の死亡後の日記には、様々な書物に強いて慰めを見いだそうと努める様子や
我が子を失った自分に対する周囲の人々の態度への複雑な思い、
そして在りし日の晃を思い出しては悲嘆にくれる有様が記され
当時の次郎の混乱と苦悩を垣間見せています。


この年の日記としては縦16cm、横9cmの箱入りの
「ポケット日記」(博文館)が用いられています。
阿部次郎はこの「ポケット日記」が気に入ったと見えて
1916(大正5)年から1922(大正11)年までの
6年間にわたって日記帳として使い続けています。


1919年は「ポケット日記」の日記帳と共に
菊判ノートの破片が「晃看病及び死亡の記」として
別個に残されています。
「晃看病及び死亡の記」には
11月1日・2日・15日・22日・25日・27日・28日
12月7日・28日の9日分の記述があります。


通常記述する日記帳の他にも
改めて晃が死亡する前後の記録を残していることからも
愛児の死が次郎に与えた衝撃の大きさが伺えます。
posted by 青田三太郎 at 19:47| 宮城 ☁| 記念館の日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。